今回、このコロナ禍でありながらもドイツに来るのにはある出来事があった。GW前に彼女のインスタを見て、言葉を失った。。。左の鎖骨あたりが腫れて、旦那さんに言われて病院に行ったら癌だと言われ、セカンドオピニオンを受けるために東京の病院に行くという内容だった。頭の中が真っ白になり、止めどなく涙が溢れた。何をしても正直手に付かない。こんなことは初めてだったかもしれない。案の定仕事でミスり、同僚に謝りの電話をすると、また涙が溢れた。事情を全て話すと同僚は優しい言葉をかけてくれ、また涙。このままでは良くないと思い、インスタにメッセージを送るか、LINEを送るか迷い、LINEをうち始めて、言葉を選びながら時間をかけて打っては消し、、、意を決してメッセージを送った。
メッセージを送った相手は、いつも説明が面倒なのでいとこと読んでいるが、実際は母のいとこ。1歳年上で、子供の頃から本当に仲良く遊んでもらっている。この母方の親戚付き合いが我ながら本当にすごいと思う中の良さ。私の祖母の兄弟が多く、一番下の弟の子供にあたる彼女。物心ついた時から、一緒に遊んでいた。幼稚園や小学校の頃は夏休みになれば泊まりに行き、習い事にまで付いて行っていた。先日実家で発見した夏休みの日記にはかなりの回数登場していた。親戚で旅行にったり、お祭りに行ったり、いつも一緒に出掛けていた。高校は、何と同じ高校になり、普通は学年が違えば一緒にどこかに行くなどあまりないと思うが、土曜日などにランチやカラオケに行ったりしていた。大学はお互いに実家を出て、それでもたまに連絡してはご飯やカラオケに行ったり、帰省の際は必ず都言って良いほど会って、深夜までファミレスで話し込んでいた。何でもない話、本当にたわいも無い話だったと思う。2.3ヶ月だったか一緒に神奈川で住んだこともあった。大人になってからは、よく恋愛の話をしたりして、、、お互い良い人がいなかったら一緒に老後は住もうと言ったりしていた。
彼女は、間違いなく天然なタイプ。小さい頃から、どこかしら言動がオバさんっぽいところがあり、何もしなくても面白い。会えば必ずお腹を抱えて笑うことになる。そんな彼女だが、人一倍周りの人に気を遣う。そして頑張り屋。頑張りすぎるところが少し心配。どう考えても相手が悪いのに、でも、、と言って自分を責めたり相手を庇ったり。そんな彼女と、これまで通りお婆さんになっても親戚で旅行や新年会を続けていくと思っていた。2018年のGWに私が彼を実家に連れて行った時も、折角田舎にきたんだからと河口湖へ富士山を見に連れて行ってくれた。その晩、紹介したい人がいると焼肉に一緒に行ったのが今の彼女の旦那さん。2019年双子の妊娠で本当に大変な思いをしたと思う。私も病院に行った時は、何と声をかけて良いかと思うほど憔悴していた。それでも色々周りに気を遣ってたのを覚えている。1人はお空へ行ってしまったけど、翌年1人は元気に生まれてきてくれて、コロナ禍で暫く会えなかったけど、会った時に母になった彼女を見て、何だか逞しくも思えたし、少し寂しくもなった。もう馬鹿なことは出来ないなという気持ちと、お嫁に行って家族を持ったんだなという変な感情を持ったのを覚えている。でも、何と言っても、彼女が幸せそうであることが嬉しかったし、これまで大変なことが多かったからこそ、ずっと幸せに過ごして欲しいと思っていた。
子供も1歳になったから仕事に復帰しようかと思っているということをLINEしてから間も無くのインスタ。正直、面と向かって彼女にこんな話はしたことがない。いつも楽しくおちゃらけているから。彼女の様子は彼女の姉と連絡を取って聞いたりしている。東京の病院に彼女が検査入院している時もお見舞いに(行ってはいけないが)いった。外にテラスがあり、そこで日光浴しながら話をした。前回の病院の時と同じく、体によさそうなもの、欲しいものを聞いて、少しでも良くなって欲しいという思いを込めて持って行った。何だか、病院で会うとおちゃらけてもいられないので、真面目に話をした。彼女は腹を括って前を向いていた。私が前を向かないわけにはいかない。病気にはなりたくてなる訳でもなく、なってしまった人に罪もない。「なんで私、こんなことになっちゃったんだろう、、、でも何故か絶対治る自信がある!」とLINEには書かれていた。今も、抗がん剤治療を行なっていて、その後副作用と闘っている様子を聞くと、つくづく彼女は生かされていて、生きていてくれないと困る人なんだなって思う。大変な思いをして産んだ娘と、お空にいる娘、それを全て見てきた旦那さん、家族。これまで彼女が皆に振り撒いてきた笑いと愛、これを今皆が彼女のもとに送っていて、それによって彼女は前を向いていられるのだと思う。
そう思ったら、私は何をしているのか、、、100%一生懸命納得のいく毎日を生きているのか、、と日々その問いは大きくなり、このコロナ禍で、仕方がないと思って毎日を生きている自分にハッとした。仕事が減っても給料が減っても仕方がない、彼に会えなくても仕方がない。そう思ってたが、毎日、前を見てその日を一生懸命に生きる、今を生きる彼女を見て、背中を押された思いがした。
私が、私の今を一生懸命生きるには、今この現状を変えれば良いのだ!と思い、仕事に区切りをつけ、会社を辞め、東京のマンションも引き払い、気づけばもうドイツに来ていた。この短期間での行動に、母は呆れ、周りの人も驚いていた。私はいつまた入国制限が出て、ドイツに行けなくなるか分からないと思ったら、早く行動した方が良いと思いこんな急展開になったのだ。正直なところ、先のことは分からないが、自分が愛する人の横に居られることが幸せだと思えることに日々感謝して、楽しく前を向いて生きていたいと思う。一年半以上、スマホの画面越しでは会っていた彼とはいえ、これ以上会えないとなると、必然的に距離感のようなものを感じ始めていて、コロナ禍で尚更、人々の最小ユニットである家族という縛りを思い知り、自分は独りであることを痛感したことも一因だと思う。
大切な人は誰なのか、自分は何を大切に思うのか、自分はどう生きたいのか、何が幸せと思えるのか。。。
大事なことに気づかせてくれた彼女に感謝の思いと、私も彼女は絶対に治ると信じて、毎日パワーを送っている。
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