〜グラミー賞2022より〜 クラシック部門:オーケストラ演奏賞 フィラデルフィア管弦楽団が受賞 :フローレンス・プライス「交響曲第1番、第3番」

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かなり前に音楽の更新をして依頼、間があきましたが、、、これはブログに書き留めておきたく。Florence Price Symponies Nos1&3。お恥ずかしながら、私も知らず存ぜずで、受賞を気に拝聴したまでで。。。そしてこのFlorence Priceってどんな方?と調べてみると、、、グラミーフィラデルフィア管弦楽団も、ドイツグラモフォンも流石だな〜!と思った訳で。

フローレンス・プライス
1888年アメリカ・アーカンソー州生まれ。ソプラノ歌手でピアニストの母親から音楽教育を受け、14歳の時にニューイングランド音楽院に入学した。ニューイングランド音楽院では作曲、対位法を学び、最初の弦楽三重奏曲と交響曲を完成させ、1907年に卒業した。
1907年から1927年にかけてアーカンソー州で教職につき、1912年には弁護士のトーマス・J・プライスと結婚した。しかし1927年、リトルロックでリンチ事件が続発したため、一家はシカゴに移住した。シカゴでシカゴ音楽大学、シカゴ教育大学、シカゴ大学、アメリカ音楽院などで聴講し、音楽、語学、リベラルアーツを学んだ。
1932年、ワナメイカー財団賞に応募した交響曲第1番ホ短調が1等賞を、ピアノソナタが2等賞を獲得し、交響曲第1番は翌年にシカゴ交響団で初演された。その後、4つの交響曲、管弦楽曲、3つのピアノ協奏曲、などを作曲し、黒人霊歌の編曲も手がけ、その作品は南部の伝統が顕著にうかがえる。

ここからは「discovermusic」の記事より。
フローレンス・プライスは、約90年前、クラシック音楽界でアフリカ系アメリカ人や女性の活躍を阻む制度的な壁を乗り越え、一躍脚光を浴びるようになった。しかし、その後、彼女の音楽の多くは無視され、最近になってようやく再発見された。現在、彼女の作品を支持しているのは、フィラデルフィア管弦楽団とその音楽監督であるヤニック・ネゼ=セガンである。ヤニック・ネゼ=セガンとフィラデルフィア管弦楽団は、舞台とスタジオで彼女の音楽を探求し、20世紀を代表するアメリカの作曲家の中でフローレンス・プライスが正当な地位を占めるよう支援することを目指している。

黒人女性による初の交響曲を米国の主要オーケストラが演奏
フローレンス・プライスの交響曲第1番ホ短調(1931-32)は、ロッドマン・ワナメーカー作曲コンテストで優勝した作品で、1933年にフレデリック・ストックとシカゴ交響楽団によって初演され、アフリカ系アメリカ人女性の交響曲として初めてアメリカの主要オーケストラによって演奏された作品であった。彼女の交響曲第3番は、もともと大恐慌の時代に連邦音楽プロジェクトの委嘱で作られたもので、1940年に初演された。

ヤニック・ネゼ=セガンは、「フィラデルフィア管弦楽団の団員を代表して、このような大変な名誉を与えてくださったレコード・アカデミーに大変感謝しています。この瞬間は、かつて自分には性別と人種という2つのハンディキャップがあると語ったフローレンス・プライスの素晴らしい音楽を称えるものであり、より特別なものになりました。私たちは、過去の偏見を消し去ることはできませんが、クラシック音楽のために、より公平な未来を築くために協力することはできます。フローレンス・プライスがクラシック音楽の定番となり、彼女の作品の録音が今後何年にもわたってグラミー賞の候補となり、受賞することが私たちの願いです。」と述べている。

ドイツ・グラモフォン社長のクレメンス・トラウトマン博士は、「私たちは、私たちのアーティストとパートナーをとても誇りに思っていますし、レコード・アカデミーが彼らの作品の優れた品質を認め続けていることを嬉しく思っています。」と述べた。

ということで、、、黒人女性作曲家による初の交響曲がグラミーを受賞したということで、もっと注目されるべきだと私は思う。音楽を聞いても、感性が新しい。彼女自身、大変な時代を過ごしたことと思うが、ある意味恵まれた環境で音楽教育を受けたことは確かである。そこへ人種差別、性差別があり、やっと今になり、公平に音楽を認められる世の中になったことを天国のフローレンスに伝えたい。そして、日本のジャーナリスト、評論家にも、この章の意味を語ってほしいと思う。

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